好きなことをしたらパニック障害がほとんど治った、私のリゾートバイトと旅のお話

 はじめまして、えりりんことえりと申します(自己紹介ページはこちらです)。まずはこのページに来てくださって、ありがとうございます。きっとここに来てくださってる方々の中には、現在パニック障害で悩んでいる(いた)方も多いのではないでしょうか。

 私自身もう何年もパニック障害についてのことを書きたいと思っていて、iPhoneのメモに書いては辞めるを繰り返していました。今までは書いている途中にパニック発作が起きそうになったりで、最後まで書ききれずにいました。では今回どうして書きたいと思ったのか。まずは、私のメンタルが良くなった、いや、今までのメンタルの状態よりも相当良くなったからです。もう一つは、今パニック障害に苦しんでいる方々に少しでも力になれたらなと思ったのと、パニック障害について知らない方に、こんな症状や考えになるんだという知識を頭の片隅に入れてもらえたら嬉しいなと思ったからです。

 私には専門的な知識がないので、こうしたらパニック障害が治るんだとお伝えするのは残念ながらできません。また、個人の体験なので、症状や考えなどは人によって180度変わると思います。ただ私が経験したことを伝えることで、たった1人でも心が軽くなったり希望を持っていただければ嬉しいと思ったのです。かくゆう私もパニック障害が酷かった時期に、色んな人の本やブログや動画を見て、たくさんの元気・勇気・希望をもらいました。なので今度は私が、ほんのすこ~しでもお役に立てたら良いなって思った次第です。

 実は今回人生ではじめて、ブログという公の場所でパニック障害の詳細を書きます。約7年前の24歳の時に発症し、親友に話したっきり詳しく話した人はいません。なので正直書くのはとても怖いです。もちろん私と深く関わる人たちにそれとなく話したことはあります。ですが、パニック障害になったことがあるんだと話しても、おそらくなったことがないので反応が薄くて一瞬で話が終わっていました。もしかしたらどう声をかけて良いのか分からないって人もいたと思いますが、私目線からすると興味がないように見えてしまいました。それか精神的な病気ということで、「この人は弱い」というレッテルを貼られていたのかもしれません。私にとっては人生が変わる一大事件なので、親しい人には知ってほしいという気持ちがあったので悲しく感じました。なので今はもうさらっと言うことにしていますが、本当はちゃんと知ってほしいという気持ちが心のどこかにあります。

 今回はそれをどうこう批判したい訳では全くありません。ただ、パッと見た感じでは全く分からずとも周りに相当苦しんでる人がいるんだということを知ってほしい気持ちも込めて、精一杯書かせていただきます。

パニック発作が起きた日

※パニック発作が起こった時の詳細をお話しするので、描写に気分が悪くなるかもしれません。もしどうしても具体的な表現がしんどいという方は、無理せず休憩してくださいね。

 パニック障害になったのは2016年5月26日、当時私は24歳でした。この日付はいまだに忘れられないですし、当分忘れないと思います。

 その日は契約社員で決まった仕事の入社式が終わった夜のことです。次の日から3週間にわたって始まる研修に備えようと23時には就寝しました。おそらく深夜12時をまわった頃でしょうか、悪夢を見ていたのか突然目が覚めました。心臓がバクバクしていたので、相当怖い夢を見ていたのだと思います。少し落ち着きを取り戻すために、実家に住んでいたので、1階にあるリビングへ階段をおり水を飲みに行きました。

 飲んで一息つくと、少し心臓の鼓動も治まったので2階の自室に戻りました。急に眠れるはずもなかったので、今のは一体なんだったのかGoogleで調べることにしたのです。「悪夢 心臓 バクバク」という感じで調べると、あるサイトに辿り着きました。そこには心臓に問題があるかもしれないから相当注意した方がいい、というように書かれていました。普段だとあまり気にしないのですが、なぜか頭から離れず不安になった途端、急に心臓がものすごい速さでバクバクし始めました。

 「あれ?きっと階段を登ってきたからドキドキしてるんだ」と思い落ち着こうとしても、一向に心臓のバクバクが止まりません。もしかしたらさっきの記事通り本当に心臓が悪いのかもしれないと焦り始めたが最後、心臓のバクバクがとてつもなく早くなり、さらに焦った私はまたリビングに駆け降りていきました。もう一度水を飲んで落ち着こうとしましたが、今度は息がうまくできません。酸素を取り入れようと必死に息を吸いますが、吸っても吸っても苦しくなる一方です。心臓のバクバクも止まらず、この時とてつもない恐怖と恐ろしい思考が頭を真っ白にします。

「あ、私死ぬんだ」

 この恐怖を言葉で表すことができないのですが、今まで生きてきて感じたことのないものすごい恐怖でした。この時、頭にたくさんのことがよぎります。まず救急車を呼ばないと、ということ。そして、今死ぬなら大切な人たちに感謝の気持ちを伝えたら良かった、まだまだやりたいことがたくさんあるのに何もできていない、という後悔の気持ちです。もちろん死にたくなかったので、すぐに「ママ、しんどい」と母親を起こし、息がうまくできないと伝えました。

 母親は私の顔がしんどそうに見えなかったので大丈夫だと思ったらしく(おい!)、とりあえず座って様子をみることになりました。それにしても今しがた起こった出来事が頭を離れません。頭はぼーっとしびれていて、手足も痺れていました。これが「過呼吸」だと気づいたのは少し後になってからです。小さい頃に一度過呼吸になった経験があったので、きっとそうなんだと思い出すことができました。袋を口にあてて(※推奨されていません)呼吸のペースを落ち着かせます。どれほど呼吸をゆっくりしようとしても、頭はぼーっとしていて現実かどうか分からない不思議な感覚になっていました。

 過呼吸は数十分で落ち着きましたが、午前3時くらいまで頭がぼーっとした状態で眠ることができず、ずっとリビングにいました。さすがに眠らないといけないなと思っても、「寝たらさっきの発作がまた出るのでは」という恐怖が頭を支配して「寝る」ということすらできませんでした。そんな私を心配した母親は私の部屋に布団を敷いて一緒に寝てくれました。

 これが初めて大きなパニック発作を起こした日の出来事です。

パニック障害の診断

 実はすぐにはパニック障害と知らず、心臓が悪いのかと思い、近くの内科で24時間の心電図をとることになりました。機械を心臓付近につけ、そのまま通常通り生活をするというものです。その間発作は起きなかったのと心臓に問題なしとのことだったので、それに関しては一安心でした。

 ネットの情報を見て、あ、これはパニック障害かもしれないと知ったのは大きな発作の約3日後だったと思います。それまでパニック障害という言葉すら知りませんでした。ネットなどの情報によると意外と多くの人が体験してるということも知らず、24年生きてきて初めての出来事の連続に困惑しました。最終的に自分で精神科を受診し、「その症状だとパニック障害ですね」と診断がくだりました。

〜パニック障害とは〜

突然理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、吐き気、手足の震えといった発作(パニック発作)を起こし、そのために生活に支障が出ている状態をパニック障害といいます。

このパニック発作は、死んでしまうのではないかと思うほど強くて、自分ではコントロールできないと感じます。そのため、また発作が起きたらどうしようかと不安になり、発作が起きやすい場所や状況を避けるようになります。とくに、電車やエレベーターの中など閉じられた空間では「逃げられない」と感じて、外出ができなくなってしまうことがあります。

厚生労働省『みんなのメンタルヘルス』より

日々の生活

 大きな発作が出てから変わったことがたくさんあります。まずは予期不安といって、またあの発作が出たらどうしようと、過剰に不安になることが一日のほどんどを占めることになります。その度に私は「死んだらどうしよう」「死にたくない」という「死の恐怖」に怯えて発作が起きそうになっていました。それはどこにいても、何をしていても、誰と一緒にいても、です。

 閉じ込められて逃げられない場所、特に電車に乗るのが怖くなる人が多いのですが私はなぜか電車は大丈夫で、代わりにエレベーターが怖くて仕方ありませんでした。17階・18階に職場があったので毎日その恐怖を感じながら登り降りしていました。高いところも異常に怖くなったのもこの頃です。きっかけは17階で働いている時にパニック発作が起こりそうになったことです。その時、「ビルが崩れて真っ逆さまに落ちていったらどうしよう」「床が抜けたら・・」「ここで地震が来たらどうしよう」と頭が勝手に考えてしまって、そこからはその恐怖が頭を支配することになります。頭の片隅では分かっているんです、「そんなこと起きない」「大丈夫」と。ですが、勝手に起きもしないことを考えてしまうのも私にとって恐怖でした。これを広場恐怖(※)と言います。

 高所は元々苦手だったのですが、この出来事により、恐怖というレベルが異常なくらい怖がることになりました。職場で発作が出そうになる度、即効性のある精神安定薬を飲んで落ち着かせていました。

 また電話対応業務だったので、一度電話にでると平均20分は電話から離れることができません。パニックになる時というのは、この状況から逃げることができない場合に起こるのが多く、仕事も例外ではありませんでした。美容院も髪を切ったり染めたりする間動くことができないので、とても怖かったのを覚えています。

※広場恐怖とは

 そこに行くと発作が起きそうな気がする、苦手な場所はありますか発作が起きた時、そこから逃れられないのではないか、助けが得られないのではないか、恥をかくのではないか、と思える苦手な場所ができて、その場所や状況を避けるようになります。これを「広場恐怖」といいます。苦手な場所は広場とは限りません。一人での外出、電車に乗る、美容院にいくなど、人によって恐怖を感じる場所は様々です。広場恐怖以外に、外出恐怖、空間恐怖ということもあります。

 広場恐怖が強くなると仕事や日常生活ができなくなり、また引きこもりがちになるので友達との人間関係にも影響が出てきます。一人で外出できなくなるので、人に頼っている自分自身を情けなく思う気持ちも強まっていきます。広場恐怖をともなわないパニック障害もありますが、多くの場合広場恐怖がみられます。

厚生労働省『みんなのメンタルヘルス』より引用

 さて、こんな状況が起きている間毎日ずーっと起こっていたら私はこう思うわけです。

 こんな生活が一生、永遠に続くかもしれないんだな、と。

そういう可能性が見えてきてしまった時が一番しんどく、恐怖で押しつぶされそうでした。終わりの見えない苦しみに、いっそ死んでしまった方が楽なんだろうなと考えることも度々ありましたが、なんせ私の怖いことは「死ぬこと」だったので自分を傷つけることはありませんでした。

 絶望的な環境で、唯一の救いは職場の人間関係が良好だったことです。病気に対する理解があり、上司の方々のフォローもたくさんあり、職場で休んでも良いからとりあえずおいでって言ってくださったおかげで仕事を続けることができていました。同僚もみな素敵な人ばかりで、恵まれていたなと感じました。

 さらに幸運だったのは、ここでこれからずっと付き合いたいと思える親友と呼べる人と出逢ったことです。何かのきっかけで、私のパニック障害を打ち明けたときに「辛かったね」と理解・共感してくれたのです。どうしてこの子は共感してくれるんだろう?と思ったところ、詳しくは書きませんが彼女も自身の辛い過去と現在の状況を打ち明けてくれました。そこからというもの、彼女と励ましあったり愚痴を言ったり恋バナをしたり出かけたり、お互い助け合っていったのです。彼女にはとてつもなく感謝しています。初めてできた、純粋に幸せを願える特別な存在になりました。

 しかし、仕事も度々(週1回以上)休むようになり、出勤したらしたで高所が怖く、薬を飲む毎日です。改善されない日々にどうしようもならなくなり、10ヶ月という私にとっては長い時を経て退職という道を選びました。

 2017年2月のことです。

【余談】病院について

 病院に行きさえすればなんとかなると思っていましたが、現実はそうではありませんでした。症状を話すと医者は淡々と薬を出しときますね〜で終わり。もう少しだけでもいいので寄り添って欲しかったというのが本音です。もちろん何十分も時間をとっていられないのは分かっていますが、あまりにも事務的でがっかりしたのを覚えています。あまりしっくりこず2〜3もの医者にかかりましたが、最終的にいいお医者さんに巡り合うことができ、さらに仕事を辞めたことによって症状は段々と回復していきました。

 しっくりきていない状態で処方された薬を飲んでも、疑心暗鬼ゆえあまり効果がなかったように思います。※あくまで個人の感想です。

インド・バラナシへの旅とリゾートバイト

 仕事を休みがちだった私は給料がほとんど入っていなかったので貯金も少なく、すぐに働く必要がありました。そんな時たまたま地元で短期契約の求人を見つけ、大手スーツ屋さんで働くことになりました。人間関係は良くなかったのですが時給がとても良く高所でもないので、約2.5ヶ月間、契約満了まで続けることができました。死ぬのが怖いという恐怖は度々感じていましたが、前職とは比べものにならないほど落ち着きを取り戻しました。

 そこでなんと、海外が好きな1つ上の女の子と出逢います。彼女も私と同じ短期の契約で来ていました。すぐ打ち解け、

「インドに行こう」

と契約満了後に行くことに。

スリランカに知り合いがいるらしく、インドとスリランカに約3週間の旅が決まったのです。

 幸いなことに飛行機にはかろうじて乗れるのと、その友人がどんなことでも動じないタイプだったので、安心して乗ることができました。乱気流に真っ青になっている私を余裕の表情で笑っていたので、同じ人間なのに不思議だなと感じました、はい。笑 余談ですが、飛行機の乱気流が大大大嫌いすぎて飛行機を使わず(帰国の時以外)アジア周遊をしたこともあるので、この記事(下記も同様)もよかったらご覧ください!

 長くなるので少し割愛しますが、インドのバラナシという街に惹かれることになります。というのも私が「死の街」と呼ぶその街は、ヒンズー教にとって神聖なガンジス川が流れており、川辺では死者が焼かれ、悲しい場所なのかと思いきや、街では人々が生きることに必死で活気があって死と生が混在するカオスな場所だったのです。

 そこで同い年の男の子に出逢いました。

彼はよく、

「お金は天国にもっていけない。(だから今を楽しく生きよう、と捉えました。

「死ぬことは怖いことじゃない。ガンジス川で焼かれるのが幸せ。」

「日本人は先のことを考えすぎ。」

などと言っていました。

 生きることに一生懸命な姿が、なぜか心にささったんですよね。言い方が悪くなりますが、金銭的には全く裕福ではない環境で生まれ育ってきたのにも関わらず、彼の懸命に明るく生きている姿がたくましくて、私もこういうマインドになりたいと憧れを抱き始めました。幸せに生きるのに、実は大金は必要ないのかもしれないと思った瞬間でもあります。その男の子に好きなタイプを聞いた時に「心が綺麗な人」と言われ、日本で聞いたことのない答えに言葉がでませんでした。余談ですが亡くなってしまった三浦春馬さんが好きなタイプを聞かれた時に言っていたことで、京都のお寺の住職さんに言われて、これだ!と思ったらしい言葉がこれです。

「綺麗なものを見て、心底綺麗だねって思える心を持ってる人が一番美しいんだ。」

 そうか、私にとって一番大事にしたいのは「心」なんだと思い知らされました。

 また「死ぬのが怖い」という考えが四六時中頭の中を巡っていた私にとって、「死」が目に見えて近くにあるバラナシという街に心惹かれたのは必然だったのでしょう。ある時ガンジス川を手漕ぎボートに乗って漂っていると、「火葬場」と呼ばれる死者が焼かれる場所を通りました。亡くなった人が、布など何も覆われずに、木の枠組みのようなものに乗せられ、焼かれるのを待っていました。親族以外の亡くなった人を見るのが初めてだったのと、これから目の前で人が焼かれるという光景に衝撃を受けました。隣ではすでに焼かれている人がいたのですが、人が焼かれる時の「におい」がものすごく強烈でした。「うっ」と鼻を押さえたくなるような、明らかに「生き物(生きていた者)」が焼かれているという、正直言うと凄まじくひどいにおいです。

 つい数日まで生きていた人が、骨になる。祖父母のお葬式で骨だけになった姿は見たことがありますが、今回は赤の他人です。「どんな人であれ死ぬんだ。」しかもここで焼かれるのが夢であるということを語るインドの人々。輪廻転生をうたうヒンズー教ならではの考えに触れた瞬間でもありました。

 インド・スリランカの旅の約1ヶ月後、どうしてももう一度バラナシに行きたくて、日本からまたはるばるバラナシに飛んで行きました。そして、たまたま縁のあったその男の子の近くで2週間を過ごしました。

 引き寄せの法則って言いますが、私は本当にそうだと思っていて、私はパニック障害になってからその時の状況に応じて出逢うべく人に出逢っています。出逢う人に何か教えてもらって、それがクリアできたらその人から離れていく、という感じです。

 インドに行ってから自分がこう生きたいという考えが大きく変わったような気がして、将来への過剰な不安を無視して好きなことをしようと決めました。それがたまたまネットで見つけたリゾートバイトでした。リゾート地、観光地のホテルで住み込みで働くという仕事です。

 もともと頭がしびれるほど美しい景色を見るのが好きだったり、新しい土地に「いる」ことが好きな私にはぴったりな仕事です。

 また接客業自体好きだったので、一石二鳥・・・どころか良いことしかありません。それから約3年間、全国さまざまなホテルを周り、観光地を巡り、たくさんの思い出ができ、ようやく人生に彩りが溢れていきます。ホテルの業務はどこも忙しく、余計なことを考えずに済みました。これまでに売店・カフェの接客、フロント業務、清掃業務、レストランの配膳・接客業務などの様々な経験ができました。時期によっては残業もたくさんあり、毎日が忙しくかつ充実していました。また1日2万歩歩く日もザラにあったので、運動しなくても体を動かせる特典つきです。

 あれほど恐怖で苦しんでいた日々も、次第に良いものになっていきました。そう、私の直感「好きなことをしよう」という決断は間違っていませんでした。

同じ時間なら楽しく過ごしてほしい、けれど・・・

 ある曲について話していた時に、私の友達はこう言ったのです。「実はさ、聞いたら唯一しんどくなる歌詞なんよね。明日を諦めたくない人がいるのなら、自分の明日をあげる。自分は明日を諦めたい。

 当時私はその歌詞が気に入っていたので、衝撃を受けました。私みたいに死ぬのが怖い、死にたくないと思う人がいる反面、友人のように生きることに執着していない人もいるんだ、と知った瞬間でした。

それを知ってからは、

ポジティブになればいい、とか

向上心を持てば大丈夫、とか

旅に出たら良い、とか

リゾートバイトをしたらいい、とか

何も考えずに楽しんだらいい、とか

そういった上辺だけのことを押し付けないでいようと誓いました。感じていることは人によってバラバラということに気がつけた出来事だったからです。

ですが、同じ時間ならば苦しい時間じゃなくて楽しく過ごしてほしい。今すぐじゃなくてもいいから、いずれきっと。

と私はただ願うのです。

 もちろん苦しい時期があってその痛みが分かるからこそ、人に優しくできます。辛い経験からたくさん学んだからこそ人間的に強くなれるとも思っています。なので、そういう時期や経験がない方がいい、とは一概に言えないかもしれません。こうなったら一番いいんじゃないかと思うのは、きっといつの日か苦しいという時間が過去になって、後から振り返った時に「あんな時期もあったよね」って思い出になることかな、と。

 やっかいなのが、苦しい時期は未来にならないと良い思い出にならないということです。正直に言うと、この記事を書いていた私は絶賛失恋中で、メンタルというか自己肯定感が下がっている状態です。Twitterにも書いたのですが、結局辛いことは最終的に解決するのは自分しかいません。

 今回は自分の底力と周りの人の助けと医療の力もあって、なんとか一旦パニック障害を抜け出すことができました。抜け出した後も嫌なこともあり何十回失恋して、その度にめちゃくちゃ泣いて悲しんでどん底に落ちて。それでも未来は笑ってるって知ってる、そう言い聞かせるようにしています。と同時に、それでもどうしてもそうならない例もあると思います。ずっとずっと苦しんでいて、もう諦めたい、何もかも終わらせたいという気持ちになることもあるでしょう。その気持ちは実は最近痛いほど分かります。

パニック障害を克服するために試みたこと

 参考までに、私がパニック障害を克服しようと試みたことを書きたいと思います。

 まずは、ブログやネットの記事を読み漁って、試せることは試しました。具体的に何を試したか、と言われると鮮明には覚えていないのですが、少し習慣や考え方を変えてみたり定期的に体を動かしたりなどです。もともとかなりの心配性で、口癖は「〜なったらどうしよう」だったので、起きてもないことを考える癖を少しずつ矯正していきました。現在は「なるようになる」が口癖です。あとは、景色のいい場所で好きな音楽を聴きながら散歩する楽しさを知ったのもおそらくこの頃です。散歩はメンタルだけでなく健康にもとても良いので、それからずっと続けています。

 また、特に読書に没頭しました。片道1時間30分ある通勤電車の中で、パニック障害の本をはじめ、小説などを読んで違う世界に入り込んでいました。その中で特に元プロ野球選手の長嶋一茂さんの著書『乗るのが怖い』を読んだことで、かなり元気づけられました。というのも、こんな有名で活躍している人でも長い間パニック障害に苦しんだんだという親近感が湧いたからです。また、あらゆる手段を講じて試行錯誤されてる彼の姿から元気をたくさんいただきました。没頭できる何かがあると、少しの時間でも気が紛れます。

 「死ぬのが怖い」と頭が勝手に反応してしまう所以外は本来の私だったので、「これは絶対治る」ということを諦めないように定期的に言い聞かせるようにしていました。治るという根拠はまったくありませんでしたが。

 身体的にも精神的にも無理は絶対にしないと誓いました。絶対に、です。睡眠不足はパニック障害を悪化させますし、アルコールは心臓がドキドキすることでパニック発作が出やすいので控えました。カフェインは私にとって相性が最悪でした。ちなみに、たばこも相性が良くなかったです。当時付き合っていた人が吸っていましたが、やはり心臓がドキドキして発作が起きやすくなります。仕事に関しては、「今日無理したら悪化する」と思ったら遅刻・早退・あるいは欠勤しました。ここで無理をしたとして、私に良いことは一切ないと思ったからです。ただ、絶対に休めないという人の方が多いのも知っています。ある程度責任のある仕事をされていたり、人手が足りず休むととてつもなく迷惑をかけたり、家庭や生活があるのでお金を稼ぎ続けないといけなかったり、社会に出るということはそういうことなんですよね。だから難しいんだと思います。

 最後に、直感に従うようにしました。「こうしたい」「ここに行きたい」という心の声はできるだけ従ってあげています。モヤモヤしている状態だとさらに良くない境地に行ってしまうので。やりたいことは極力我慢せずに、やってみることが結果的に良かったです。

今でも怖いこと

 高所恐怖症は治っていないので、高いところ(10階〜)は怖くて行けません。下が見えなくても高いという概念が無理です。ですがジェットコースターには乗れたので、怖さの基準が自分にしか分からず、他の人にはあまり分かってもらえません。それにともなって、エレベーターもいまだに苦手です。特に外が見えるタイプのエレベーターは最悪で、その場合2階にあがるのさえ怖いです。また高所といえば、飛行機も極力乗りたくないです。海外旅行が生きがいなので、必然的に乗らないといけないのですが。

 あと面白いことに、広すぎる場所が怖くなりました。広大な土地のど真ん中にいると、自分が無力で怖くなるので走って逃げようとします。アメリカに少し滞在していた際は、広すぎるスーパーで発作が出そうになるのを必死で抑えていました。星空や空を眺めている時にスイッチが入るとダメで、広すぎる宇宙のことを考えてしまって怖くなります。ちなみにこれに関しては、現在だいぶマシになったと思います。

 特に夜ですが、たまに変なスイッチが入る時があります。あれこれ考えてしまったり、嫌なことを思い出したりして、パニック発作起きそうだな〜と思うことはいまだに多々あるので、そういう時は寝返りをうったり深呼吸したりスマホを見たりして上手く気を逸らすようにしています。

最後にパニック障害になって

 私に関しては結果的に良かったと思っています。知りたくなかった感情もありました。失ったこともたくさんありました。しかし、この経験がなければ強くなれなかったと思いますし、様々なバックグラウンドのある人たちに出逢えていなかったと思います。当時は「なんで私?」と怒り落ち込んでいましたが、今ではパニック障害が私の背中を押してくれた、とさえ思えるようになりました。そうじゃなければきっと、私は以前のように職場と家を行き来して、面白くない日々を過ごしていたでしょう。(←あくまでも私にとっての退屈な人生)

 現在パニック障害の方、先の見えない未来に辛い思いをしていると思います。焦りもあると思います。綺麗事を言うつもりはありませんんが、自分を信じてほしい、それだけです。

 そうでない方は、例えば職場や電車で顔色の悪い人を見かけたとします。その際に、「なんやねんあいつ、仕事サボって」や「立ち止まって邪魔だな」ではなく、「もしかして、何か見えない恐怖や感情と闘っているのかな?」と相手の立場にたって考えることができる、さらに心優しい人になれるのではないでしょうか。

 私自身、今後どうなるか分かりません。1秒先の未来ですら分からないのが生きているということ。もしかしたらまたパニック発作が起こるかもしれません。大恋愛の末思いきっり失恋して、立ち直れるか分からないほど絶望するかもしれません。家族や飼い猫が命を終え、今生の別れを経験して、生きていくのが嫌になるかもしれません。とうてい乗り越えられなく感じる出来事に直面するかもしれません。それは残念ながら誰にも分かりません。

 先ほども書いたように、実はおおまかな内容を書いている時に絶賛失恋中で、現在も割と結構引きずっています。昼間は仕事で無理に笑顔を作って、あたかも何もなかったかのように過ごしています。同僚たちに毎日「How are you?」と聞かれ、まさか「I’m not feeling well.」と答えるわけにもいかず、「I’m good/alright.」と答える毎日。振る舞っているのに。夜になるとふとそのことを考えてしまう。そういう日々の繰り返し。一体自分の何が悪いのだろうと自問自答する日々も。苦しくて、「もう何もかもが嫌だ」と逃げ出したくなる気持ちになることも多々。

 苦しい戦いの中、人と比べたくなることもあるでしょう。ですが、人生は自分との戦いで、いかに「どういう人間になりたいか」を問い続けてそこに向かっていくことだと私は思っています。

 なので私はひたすらに願うのです。時が経ち「あの時はこうだった。そんなこともあったよね」と思える日がいつか必ず絶対に来ることを。

 ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。